-
No.3576
Work 89-P-22
キャンバスに油彩
90.3 × 71.8 cm(30号) -
No.3687
April-9-2000
キャンバスに油彩
145.5 × 112cm (80号) -
No.3384
Oct-15-1999
キャンバスに油彩
53 × 65.2 cm (15号) -
No.3372
July-1-2006
キャンバスに油彩
80.4 × 100 cm (40号) -
No.3579
Feb-24-99
キャンバスに油彩
71.8 × 90.3 cm(30号) -
No.3827
UNTITLED 95-10
キャンバスに油彩
65.0 × 53.0 cm -
No.3577
Work 89-P-23
キャンバスに油彩
33.4 × 53.0 cm(10号) -
No.3578
June-89-20
紙に木炭・グワッシュ・油彩
112.7 × 84.5 cm -
No.3972
Oct-89-12
紙にパステル、木炭、グワッシュ
103 × 66 cm -
No.3935
Untitled
紙にパステル、水彩
99.8 × 78.5 cm -
No.1690
Nov.25-95
紙に水彩、パステル
90 × 65 cm -
No.3613
Dec-86-13
紙に木炭
76.4 x 56.2 cm -
No.3690
Drawing No.2
紙にパステル
76.4 × 57.4 cm -
No.3782
WORK 76-D-6
紙にシルクスクリーン(モノタイプ)
64.1 × 46.0 cm -
No.3786
MEM-MEM 3
紙にシルクスクリーン、鉛筆(モノタイプ)
68.3 × 94.0 cm -
No.3962
Untitled
紙にドローイング
56.0 × 75.5 cm -
No.3785
May-28-97
紙にモノタイプ
78.5 × 57.5 cm -
No.3842
untitled
紙に銅版画
15.2 × 7.8 cm -
No.3720
UNTITLED-III
ed.20
紙にエッチング
75.6 × 56.5 cm -
No.i2307-1
UNTITLED-Ⅱ
ed.15
リトグラフ
76 × 55 cm -
No.3721
UNTITLED-IV
ed.20
紙にエッチング
76.5 × 57 cm -
No.2559
UNTITLED-IV
ed.25
リトグラフ
76 × 55 cm -
No.3589
May-19-89
ed.50
シルクスクリーン
76 × 56cm -
No.2509
Aug-6-89
ed.65
シルクスクリーン
76 × 55.5 cm -
No.3514
June-10-89
ed.50
シルクスクリーン
65.5 × 48.2 cm -
No.3691
June-6-89
ed.50
シルクスクリーン
65.5 × 48.2 cm -
No.0775
July-3-89
ed.50
シルクスクリーン
78.5 × 57 cm -
No.3879
April-1-91
ed.50
リトグラフ
102 × 76 cm -
No.2652
April-25-91
ed.50
リトグラフ
102 × 76 cm -
No.3471
May-10-91
ed.50
リトグラフ
76 × 102 cm -
No.0749
Dec-7-92
ed.50
シルクスクリーン
105 × 75 cm -
No.3885
UNTITLED (#2)
ed.50
エッチング
49 × 40 cm -
No.3886
UNTITLED (#2)
ed.50
エッチング
49 × 40 cm -
No.3599
UNTITLED (#3)
ed.50
エッチング
20.8 × 18.5 cm -
No.3442
UNTITLED (#5)
ed.50
エッチング
20.5 × 11.5 cm -
No.3888
UNTITLED (#5)
ed.50
エッチング
40 × 34 cm -
No.3889
UNTITLED (#5)
ed.50
エッチング
40 × 34 cm -
No.3678-1
Aug.-Oct.1992 I
ed.45
エッチング・アクアチント・ソフトグランドエッチング
40 × 50 cm -
No.3678-2
Aug.-Oct.1992 II
ed.45
エッチング・アクアチント・ソフトグランドエッチング
50 × 40 cm -
No.3462
Aug.-Oct.1992 III
ed.45
エッチング・アクアチント・ソフトグランドエッチング
50 × 40 cm -
No.3678-4
Aug.-Oct.1992 IV
ed.45
エッチング・アクアチント・ソフトグランドエッチング
50 × 40 cm -
No.3678-5
Aug.-Oct.1992 V
ed.45
エッチング・アクアチント・ソフトグランドエッチング
50 × 40 cm -
No.3678-6
Aug.-Oct.1992 Ⅵ
ed.45
エッチング・アクアチント・ソフトグランドエッチング
40 × 50 cm -
No.i2204-1
Feb-19-93
ed.50
シルクスクリーン
107.5 × 74.0 cm -
No.3776
Nov-8-93
ed.50
エッチング
95 × 75 cm -
No.i2204-2
Nov-23-93
ed.50
エッチング・アクアチント
95.0 × 75.0 cm -
No.3227
Dec-17-93
ed.50
エッチング
76 × 56 cm -
No.2444
April-1-1995
ed.50
木版
50 × 61.5 cm -
No.i2204-3
May-6-1995
ed.30
リトグラフ
76.0 × 56.0 cm -
No.3452-1
Spring to Summer I
ed.60
リトグラフ
69 × 56 cm -
No.3452-2
Spring to Summer Ⅱ
ed.60
木版
56.5 × 45.5 cm -
No.3452-3
Spring to Summer Ⅲ
ed.60
木版
61.5 × 49.5 cm -
No.3452-4
Spring to Summer Ⅳ
ed.60
エッチング
50.5 × 39.5 cm -
No.3452-5
Spring to Summer Ⅴ
ed.60
リトグラフ
69 × 56 cm -
No.1947
Spring to Summer Ⅵ
ed.60
エッチング
56 × 69 cm -
No.3501
June-19-96
ed.60
エッチング・アクアチント
60.5 × 60.5 cm -
No.0638
July-2-96
ed.60
エッチング・アクアチント
60.5 × 60.5 cm -
No.3502
July-31-96
ed.60
エッチング・アクアチント
60.5 × 60.5 cm -
No.i2204-4
Dec-16-96
ed.50
エッチング・アクアチント
60.0 × 48.0 cm -
No.2235
Oct-19-98
ed.50(R.T.P)
シルクスクリーン
56.6 × 76.6 cm -
No.0770
Sept-28-98
ed.50
シルクスクリーン
56 × 76 cm -
No.3881
February-2-99
ed.55
シルクスクリーン
76 × 56 cm -
No.3741
TWIN COLORS Ⅰ
ed.50
エッチング
39.5 × 51 cm -
No.3742
TWIN COLORS Ⅱ
ed.50
エッチング
39.5 × 51.5 cm -
No.3743
TWIN COLORS Ⅲ
ed.50
エッチング
49.5 × 37.5 cm -
No.3744
TWIN COLORS Ⅳ
ed.50
エッチング
51 × 38 cm -
No.3745
TWIN COLORS Ⅴ
ed.50
エッチング
38.5×49.5 cm -
No.3478
Aug-24-2000
ed.30
エッチング
14.2 × 17.2 cm -
No.3479
April-14-2001
ed.30
エッチング
各14.2 × 10 cm -
No.836
June-15-2001
ed.30
エッチング
9.2 × 29.5 cm -
No.3890
June-10-2004
ed.30
エッチング
28.0 × 33.0 cm -
No.3891
Juiy-29-2004
ed.30
エッチング
35.0 × 40.0 cm -
No.3883
Sept-13-2004
ed.38
シルクスクリーン
101.5 × 73.5 cm -
No.3892
Sept-15-2004
ed.38
エッチング
31.0 × 38.0 cm -
No.3884
Oct-1-2004
ed.38
エッチング
76.0 × 65.0 cm -
No.3896
AIWIP-3
ed.32
リトグラフ
66.0 × 52.0 cm -
No.3897
AIWIP-8
ed.55
リトグラフ
63.2 × 88.5 cm -
No.3898
AIWIP-21
ed.45
リトグラフ
65.4 × 48.2 cm -
No.3818
AIWIP-22
ed.35
リトグラフ
79.5 × 61 cm -
No.3819
AIWIP-26
ed.24
リトグラフ
20.1 × 38 cm
1950年長野県岡谷市生まれ-2014年
辰野登恵子は「もう絵画の時代ではない」という空気が色濃かった70年代の現代美術界にあって、
シルクスクリーンを使ったミニマルな作品からそのキャリアをスタートさせました。
それは版画による無機的なストライプやグリッドの上に、手描きの線を加えることで、
かすかな空気層やずれを生じさせるコンセプチュアルな平面作品群です。
80年代以降は油彩制作を精力的に開始し、二次元の絵画において、多次元的な表現の在り方を問い続けました。
1995年には東京国立近代美術館で女性初、また史上最年少で個展を開催しています。
2014年に急逝するまで、つねに変化し、新たな展開をいとうことはありませんでした。
また版画について、版の手法は作家としての出発点から大きな意味を持っていましたが、
油彩制作に深く入り込むことでより充実したジャンルとなったといえます。
油絵とは異なる平面表現の可能性の場として、版画制作はほぼ全キャリアに渡って意欲的に試みられ、重要な位置にあり続けました。
作家の眼は、日常にありふれた、とるに足らないのにどこか気がかりな光景に注がれます。
-テーブルのいくつかのコップに注がれた水の量の違い、左右がアンバランスな靴下の高さ-
辰野の絵画はそのような、物の置かれた位置関係、高低、凹凸や空洞といった具体的な何かから始まるのを特徴としています。
しばしば絵画の仕分けに用いられる「抽象/具象」の分類ですが、
それを忘れさせてしまう辰野作品の不思議さは、こうした日常での感触と無縁でないからかもしれません。
現代絵画として、つねに「新しくあること」を課し、絵画の歴史を一歩進める意志を手放さなかった辰野登恵子。
何層にも塗り重ねられた色彩とその組み合わせ、有機的で構築的なフォルムは、
絵画ならではの幸福にあふれており、美術史的な評価のみならず、多くの人を魅了し続けています。
COLLECTION50音順
国内
- 愛知県美術館、愛知
- 足立区役所、東京
- いわき市立美術館、福島
- 宇都宮美術館、栃木
- 岡谷美術考古館、長野
- 外務省
- 北九州市立美術館、福岡
- 岐阜県美術館、岐阜
- 黒部市美術館、富山
- 高知県立美術館、高知
- 国立国際美術館、大阪
- 埼玉県立近代美術館、埼玉
- 佐久市立近代美術館油井一二記念館、長野
- 資生堂アートハウス、静岡
- シティバンク、福岡支店、福岡
- セゾン現代美術館、長野
- 高松市美術館、香川
- 千葉市美術館、千葉
- 東京オペラシティアートギャラリー、東京
- 東京国際フォーラム、東京
- 東京国立近代美術館、東京
- 東京都現代美術館、東京
- 栃木県立美術館、栃木
- 富山県立近代美術館、富山
- 長野県諏訪二葉高等学校、長野
- 名古屋市美術館、愛知
- 新潟市美術館、新潟
- 練馬区立美術館、東京
- 原美術館、東京
- 平野美術館、静岡
- 福岡市美術館、福岡
- 府中市美術館、東京
- 松本市美術館、長野
- 三鷹市美術ギャラリー、東京
- 横浜美術館、神奈川
- 和歌山県立近代美術館、和歌山
海外
- ソウル市立美術館、韓国(ソウル)
- 大林美術館、韓国(ソウル)
- フレデリック・R. ワイズマン美術財団 、アメリカ(ロサンゼルス)
絵画考2004年 (多摩美術大学研究紀要 第19号より)
1.
絵画は、たとえば人間の心と体である。
人の心は目には見えないが、体はその精神性を写し出す鏡として目に見えるからである。心は主題として、肉体は描かれる支持体であると仮定すれば、どちらかが弱体化していたり、あるいは一方を無視すれば、両者の関係は歪なものになる。この場合の主題とは、イメージを包括した空間認識のことである。制作はこの二者の特別で最良の出会いの場を想定して行われるが、一人の画家にとっておそらく何百、何千通りあるであろう方法の手引は、目の論理に従って導き出されるのである。主題としての願望を伝達する仕組みの中で、客体(支持体)はその受け皿として能力を問われる場であるから、あらゆる主体の要求に対処しうる強靭にして柔軟な肉体であることが望ましい。甚だ理想論的ではあるが。
手法を疎かにすれば観念は先ばしり、前のめりの体を示すし、手法に甘んずれば虚構に陥るから、手法はあくまでも主題を明解にする為の手段とわきまえるべきであろう。
並はずれた集中力で、このバランス感覚を際立たせたのが近代の絵画であり、このようにいかにしてイメージの具体化を平面において果たすかという問題は、今も昔も変ることはない。
最近、ある商業的な美術館で催された近代から現代までのコレクション展を観た。見なれた光景ではあるが、近代美術のほとんどは絵画で配置されていて、現代に近づくほど様々なメディアのアートに出合うことになる。時代と共に芸術の意識もスタイルも多様化するのは自然で、このようなアートを普段積極的に見ない私でも、自身の脈略とは別なところでそれなりに楽しむことも出来るが、問題は現代の絵画である。馴れ親しんだ好きな現代画家の作品にも拘らず、どこか希薄な印象持ったのは意外であった。そう言えば、国の内外のこの種の展示に接する度、似たようなモヤモヤとして判然としない気分になるのだ。勿論、全ての現代絵画がそのように見えるはずはないが。
確かに多岐におよぶ今の絵画を、単純に色と形の良し悪しで判断するほど、現代の絵画はおめでたくないが、俗に言う埃っぽさが目を凝らしても何故か漂うのである。退色しているのか、色よりもテクスチュアの汚れが目立つのか。高々2、30年の時の経過で輝きを失いつつあるのか否か今はよくわからないが、もし近代の名品と同列に置かれることで見える落差だとしたら、自身の反省も込めたところで憂慮すべき問題である。
2.
図像としての「反復と連鎖」の形象化は、70年代初頭の図式的な私の版画制作から、断続的にではあるが今の作品に継続されている。そのような言葉としての概念をスタイル化する意図を最初から持っていた訳ではないが、多作ではない私の作品履歴を通して見ると、切っても切れないある種のこだわりとして、今も私の作品の中で生成している。
「反復と連鎖」は、繰り返し繋がるといった意味において、多分に人工的な事柄としての側面を持っている。初源的なイメージの出どころとして、しばし引用したのが装飾的な事物であり、無機的な生産品であることを、以前にも機会ある度に話したことがあった。
初期の作品(「UNTITLED-27」)は、シルクスクリーンを用いた紙の作品で、平坦なそれこそ今流に言えばスーパーフラットを有する面である。絵画的には非常に限られたエレメントの中で、無機質に対する作者の感情の融合が、はたして可能か否か試みた最初の作品である。連続するグリッドの上を部分的に版に起こした手書きの線を重ね刷りすることで微かに現れる空気層。この最小限に留めたイリュージョンを確保した手ごたえは、大きかったと思う。
学生の頃、最も身近な美術史として、戦後の内外のモダニズム絵画があった。これを経験するということは、私に限らず絵を志す者にとっては、一つの通過儀礼のごとく絵画の平面性を重視することであった。純粋抽象芸術の洗礼を若い頃に受けると、イリュージョニスティックな表現に関して神経質にならざるを得なかったし、又そのような過剰な表現を受け入れ難くなる。平面性を重視することは、逆説的には絵画の次元性への考察を深めることになるから、このような禁欲的なスタンスを取って、表現方法を意識的に規定することはそれなりに意味のあることで、モダニズム絵画から一歩前へ進む為の大切な準備期間であったように思う。
さて、パラドックスとしての絵画の多次元性への推移は、私の近作において顕著である。理由は描かれる主題の形態上の変化にあり、それは当然のことながら絵画空間全体へと及ぶのだ。私の今の絵のイメージについて少し具体的に言えば、物の置かれた位置の関係、及び高低。凸凹や空洞。不自然な光線など。このような物に関わりながら「こと」に移行する現象に近いものがモチーフとなっている。描かれる内容がイリュージョンの解釈の幅を広げさせるから、かかる諸要素の見直しは不可欠で、このような内容全体を取り巻く連鎖的な意識変革が、新たな空間価値に繋がればと望む。
辰野 登恵子
UNTITLED-27
1974年 紙にシルクスクリーン 107 × 70 cm
千葉市美術館蔵