芥川(間所)紗織[1924-1966] Saori Akutagawa (Madokoro)
多くの画家がマチエールを求めた、戦後アートシーンの世界的な時流に反し、キャンバスではなく薄いリネンに描くことで、凹凸を排したフラットな画面を意志的に選択していた芥川紗織。1950年代後半に染色による作品を集中的に制作し、怒り、悲しみ、笑う、エネルギーがほと走る女たちを描く。草間彌生らと同時代の、期待された前衛女性作家だったが、42才の若さで妊娠中毒症のため早逝。特に渡米前、芥川也寸志との結婚時代に残した作品群の、激情とユーモアとの絶妙な調和は注目に値し、再評価が待たれる。
1924年 愛知県豊橋市生まれ。東京音楽学校(現・東京藝術大学)声楽科を卒業。
1946年 在学中音楽学校の同級生・芥川也寸志(作曲家)と結婚。家庭生活の中で歌を遠慮し声楽の道を断念してから、女学校時代に描いていた絵画の道へ復帰。野口道方からろうけつ染を、猪熊弦一郎から油絵を学ぶ。
1954年 第6回読売アンデパンダン展、第4回モダンアート展に出品し、銀座の養清堂画廊で初個展(瀧口修造による推薦文)を開催。続いて同画廊開催「女流八人展」に、草間彌生らとともに選ばれて出品。
1955年 岡本太郎に誘われ二科会に入り、第40回二科展の岡本太郎室(第九室)に染色画を出品して特待賞を得る。第2回個展(村松画廊)で民話に基づく染色画を出品した。この頃の芥川紗織は、ろうけつ染で絵を描く技法を駆使して、全く独自の鮮烈なイメージを切り開いた。笑い、叫び、怒る、「女」を中心としたシリーズに始まり、日本の民話や神話に取材した神々の誕生や壮大な国造り伝説へと発展していった。同年に「今日の新人・1955年展」(神奈川県立近代美術館)に選抜され出品。
1956年 池田龍雄、河原温、吉仲太造らと第1回4人展(サトウ画廊)、第4回平和美術展、第41回二科展、「世界・今日の美術展」(日本橋・高島屋)、第2回四人展(松村画廊)に出品。
1957年 第3回個展(村松画廊)で13m超におよぶ染色の集大成ともいえる大作《古事記より》を出品。同年、第11回女流画家協会展に出品、船岡賞受賞。一方、画家としての並外れた活躍が家庭生活と齟齬をもたらす。
1958年 ふたりの娘を残して芥川也寸志と離婚。
1959年 渡米。
1960年 「日米女流画家展」(ニューヨーク、リヴァーサイド美術館)に桂ユキ子、草間彌生らと出品。
1961年 アート・ステューデンツ・リーグで油彩を学び、以降は染色画をやめて、人体に基づく有機的な抽象画(油彩)に転じた。
同年、建築家、間所幸雄と再婚。
1962年 帰国後も個展で新しい展開を予感させる新作を発表する。
1966年 妊娠中毒症により42歳で逝去。
(「前衛の女性1950-1975」展カタログ(2005年)、栃木県立美術館、p.141より抜粋、「芥川紗織」展カタログ(2009年)、横須賀美術館 参照)
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